湘南を知らない日本人はほぼいないと思う。
湘南と聞いただけで、数々の大ヒット漫画・ドラマ・曲が想い浮かぶ、日本でもイケてる場所のひとつ湘南。
しかし、具体的にどこからどこまでが湘南なのか。いったい、湘南とはどこをさすのか?
湘南の元祖は大磯らしい
その由来は、禅宗のメッカであった中国・長沙国『湘南県』の名前が禅宗と共に日本に流入し、禅宗を擁護した鎌倉幕府の周辺地域が湘南と呼ばれるようになった説。また、中国の湘江(湘水)の南部地域の風景とよく似ていた説など、いくつかある。
大磯町のホームページによると、江戸初期の俳人、宇野宗雪が創設した『鴫立庵』(大磯町)に「著盡湘南清絶地」“清らかですがすがしく、このうえもない所、湘南とは何と素晴らしい所”と刻んだ石碑があり、これが日本における湘南のルーツだとしている。
明治になると、西欧で流行していた海水浴保養が日本にも取り入れられ、相模湾沿岸が注目された。以後、別荘地として文化人やマスコミの手を伝い湘南はブランド化され、加山雄三やサザンオールスターズなど、昭和スター達の活躍により江の島・茅ヶ崎・鎌倉などが『湘南』の定番となった。
「湘南はどこか?」問題の発端は、平塚市?
平成6年『湘南ナンバー騒動』というものがある。この湘南ナンバーができた時に、湘南ピープル達のあいだでひと悶着あった。まず、湘南ナンバーの地域を見てほしい。
平塚市、藤沢市、小田原市、茅ヶ崎市、秦野市、伊勢原市、南足柄市、高座郡、中郡、足柄上郡、足柄下郡
海がない場所を湘南と言われても…
これは平塚市と伊勢原市が「湘南」というブランドを手に入るための策だったと言われている。平塚市は車検場の敷地まで用意し、茅ヶ崎市、藤沢市にも働きかけて藤沢市より東側の地域を湘南ナンバーにしたらしい。
この『湘南ナンバー騒動』以来、相模湾沿いの住民達には、すっかり湘南カースト的な意識が芽生えてしまったという。そこで、現在の意識を現相模湾沿いの7市町に20年以上住む、編集部の知り合い達に話を聞いてまとめてみた!
鎌倉市・茅ヶ崎市
鎌倉市・茅ヶ崎市は【市】単体で知名度がある。
湘南のなかでもエリートであり、自分達で湘南ブランドは成り立っていると自負している。
鎌倉市にいたっては、古都の顔もありソロ活動でも売れているためグループ意識が薄い部分も。
藤沢市
湘南は、藤沢市のみだと固く信じている藤沢市。しかし、絶対的センター江の島だけが独り歩きし、藤沢と聞いてもピンとこない人が多い。江の島(片瀬)のすぐとなり藤沢市辻堂に出来た巨大ショッピングモール名も、当然、テラスモール湘南。まちがってもテラスモール藤沢ではない。
平塚市
Jリーグの『ベルマーレ平塚』をかかえていた。しかし、いつのまにか湘南ベルマーレへ。2000年よりJリーグで“広域ホームタウン制度”が認められ、本拠地が厚木市、伊勢原市など湘南地域の7市3町へ変更された理由があるものの、湘南ナンバーの件もあり「平塚必死だなwww」と思われている。また『競輪場』があり、海よりも陸のイメージも。
大磯町
『大磯ロングビーチ』があり、70年~80年代にかけてアイドルと水着を売りにした人気番組のロケ地だったため、番組を見ていた世代には、夏・芸能人のイメージが定着している。また、箱根・伊豆方面へむかう西湘バイバスの入り口であり、なんとなく湘南の西の端という認識もある。『鴫立庵』の石碑を町役場で保管するなど、元祖・湘南であることに誇りをもっている。
逗子市
最近、規制が厳しくなったことで有名になった逗子のビーチがあり、また、数々の有名人やおしゃれピープルが住む逗子マリーナをかかえる。
しかし、鎌倉というエリートを隣人にもち本人達はやや卑屈。
葉山町
なんといっても御用邸をかかえる。皇族にかなうものはなく、湘南エリート達も葉山を邪険にできない。
もし湘南に東の端があったら、は葉山かな?という認識がある。葉山町民は自らを湘南とは名乗らない。
「天皇一家がいらっしゃるし湘南なんて名乗らなくって良くってよ。」という余裕がある。
かの『湘南スタイル』が掲載する湘南地域はどこまで?
平塚市で働く友人は、平塚は『湘南スタイル』から相手にされてないからね~と、遠い目…。調べてみたが、葉山・逗子・鎌倉・藤沢・茅ヶ崎・平塚・大磯は過去、なんらかの特集が組まれている。掲載数は少ないけれどちゃんと平塚も掲載エリアだ。
(とはいえ、相模湾に面していれば湘南という定義がでもあるのか、三浦半島の灯台が紹介されるなど、エリアに対しておおざっぱ…いやいや大らかだ。)
調べているうちに面白い特集を発見。
どうやらアロハシャツが正装になる地域を湘南と呼ぶらしい。海、サーフィン、砂浜、そして競輪!オシャレのツボを押さえたアロハシャツは湘南に学べ。