「スケートボードはキケンなスポーツ」世間の目から見たらそれは当たり前の事なのかもしれません。
しかし、どんなスポーツにも“基礎”というものが存在し、基礎がしっかりしていれば、ある程度のケガは回避できます。
スケートボードも例外ではなく基礎がきちんとしていれば、実はそれほどキケンなスポーツではありません。
しかし日夜、新しいフッテージを残そうと攻め続けるプロスケートボーダーともなると話は別。
限界を超えて挑戦する彼らの身体には、想像以上の負担とキケンが待ち構えています。
今回は絶望的なケガから復活したプロスケーター第2弾として、奇跡のカムバックを果たした、もう一人のレジェンドを紹介します。
ケガを克服したスケーターといったら彼を外す事は出来ません。
下半身不随の危機を克服、今なおチャレンジをやめないプロ
清水潤(34)
一児の父であり、サラリーマンであり、AJSA(日本スケートボード協会)の九州支部長であり、FLCスケートボードチームの代表でもあり、日本を代表するスケートボードブランド『Lesque』のライダーでもある、この肩書きだらけのスケーター清水潤さんは、その身体もケガだらけ。
清水氏のケガの遍歴は、骨折に靭帯切断・半月板手術に記憶喪失…骨折していないかメスが入っていない箇所は、肘と肩と腰だけというプロレスラーも顔負けの壮絶なものです。
そんな清水氏は、所属している『Lesque』チームの撮影中に、人生を変える大ケガを負ってしまいます。
スケートビデオの撮影中に木の幹に頭から突っ込み、頭部を10針縫う大ケガ。
しかし、本当の地獄はこの数ヶ月後でした。
ある朝起きると、両手両足が痺れている。数日たっても良くなるどころか酷くなる一方の症状に、さすがに心配になった清水さんは病院に行きました。
そこでMRIを見た医師の言葉が突き刺さります。
「スケートボードどころか、いつ下半身麻痺になってもおかしくない。スケートボード以前に、もう運動するのを諦めた方がいい…」
なんと、頭を打った事により首のヘルニアを発症し、下半身不随寸前の状態になっていたのです。
プロスケーターにとっての人生のどん底。
スケートどころか、自らの脚で立つ事さえ出来なくなるかもしれない恐怖。
人生を捧げてきた大好きなスケートボードはもう一生出来ない。
それでも清水氏は、壮絶なリハビリに挑戦し、耐え、仲間や家族達の応援もあってケガから約1年半後に奇跡の復活を遂げます。
もう、それは並大抵な努力ではなし得なかった事でしょう。
絶望的な状況の中、清水氏の人柄を表すかのように各スポンサー陣は「待っているよ」と外れる企業はなく、それどころか復帰後には、大阪のウェアブランド『DORCUS』から、清水氏のトレードマークともいえるハットのシグネチャーモデルが発売されました。
人生最大の困難を乗り越え“見えたもの”とは
スケートボードがうまくなる最大のコツ。
それは…「体も心も大ケガをしないこと」だと清水氏は語っています。
身体を大ケガする事よりも怖いのは心の大ケガなのかもしれません。
それは決してスケートボーダーだけに当てはまるものでは無く万人に当てはまるものでしょう。
彼は人生に関わる大ケガをしたにもかかわらず、スケートも人間的にも前進する事に成功した貴重なスケートボーダーの一人である事は間違いありません。