新しいイチゴがこの秋デビューします。佐賀県が生み出した新品種、その名も『いちごさん』。
佐賀県・JAグループ佐賀・生産者が力を合わせ、苦節7年、約1万5000もの試験株から開発したそうです。晴れて品種登録されたのは今年8月15日のこと。キャッチコピーは「眺めてうっとり、かじって甘い。」。
佐賀県では7年前に「さがほのか」を開発して以来の新品種で、「さがほのか」よりも赤みが強くジューシー、そして収穫量が多いというメリットが有るそう。今後は、いちごさんとさがほのかがタッグを組んで佐賀ブランドいちごが注目されそうです。12月には出荷が始まる予定。
日本のいちごルーツ
そこで、日本のいちご品種のルーツを調べてみました。雑学ですね。日本では石器時代からいちごは食べられていました。といってもそれは小さな野いちご。そもそも世界中の野いちごも大凡どんぐりくらいの大きさでした。
18世紀にオランダの農園で北米のバージニアイチゴとチリのチリイチゴを交配させ、それが10倍ほどの大きさの実になり、しかも甘くできあがりました。“オランダイチゴ”と呼ばれ、欧米で広まります。これが、今日世界で食べられる品種改良されたいちごの源とされるようです。
日本でも江戸時代に入ってきますが、赤い実が血を連想させると言って観賞用とされ、食べませんでした。
日本のいちご品種改良
日本には約50種類のいちご品種がありますが、その多くは1つの国産品種から始まりました。研究の始まりは意外にも「新宿御苑」でした。
1893年(明治31年)、新宿御苑の前身である新宿植物御苑で、福羽逸人(ふくば・はやと)という農学博士が、フランスの「ゼネラル・シャンジー」という品種から独自のいちごを作ります。これが国産第一号のいちご品種「福羽」です。大粒で肉質がふっくらで甘く美味しかったとか。当初は門外不出で皇室への献上品にしたそうです。
その後、福羽と海外の品種をかけ合わせた新品種が次々に誕生していきます。昭和30年代に入るとビニール栽培が普及し、いちごの生産が全国的に広まります。そして、いちごはケーキなどの洋菓子で人気となり、八百屋さん、スーパーなどで販売されるようになって日本の家庭に浸透していきました。
今人気品種の「あまおう」「とちおとめ」「とよおか」といった日本のイチゴ品種の多くは、新宿御苑で生まれた「福羽」がルーツとなっています。
いちごといえば、クリスマスケーキに欠かせない冬が美味しいイメージがありますが、沢山の品種と栽培方法の向上で、今では一年中食べられるようになっています。その歴史は125年前の新宿御苑で作られた品種から始まったのでした。