【東京 今さら聞けない大人の町のお約束】 ~新宿で旧町名を楽しむ町歩き(店主のお宝エピソード編)~

2019/06/20
遠藤昇輝

新宿で<都会に残る旧町名を楽しむ町歩き>をしたところ、かつて十二社とよばれた西新宿の路地に佇む『品川亭』にたどり着きました。

その店主が語るエピソードは、まさに西新宿界隈のリアルヒストリー!「旧町名巡り」の楽しさを倍増させてくれるものだったので、ちょっとご紹介します。話のキッカケは七福神でした。

なぜ店内が七福神だらけなのか?聞けば、店主の父である先代が知り合いからいただいたのが始まりで、いつしか常連さんたちも持ち寄るようになり、増えてしまったとか。

つまり店主は二代目で、話の流れから十二社(西新宿)育ちと判明したので、私が<旧町名を楽しむ町歩き>をしてきた旨を伝えると、「この店、もともと置屋だったんスよ」(えっ)

店主が子供の頃は、芸者が行き交い、三味線の音色が聞こえる花街だったというのです。そこで、近くで見た民家の塀に素晴らしい細工が施されていたことを話すと、「あっ、あそこね。昔は見番だったんですよ」と即答。

たった数分の会話で、花街のポワッとしたイメージが一気にリアリティを増していく。この楽しさは本やネットの情報ではなかなか味わえません。

ビールから焼酎にチェンジ、「生き字引」から西新宿がどんな町だったのか伺うと、これまたビックリ。西新宿はカメラのコニカの企業城下町で、写真関係の仕事をしている人があちこちにいて、「ヨドバシカメラ」や「カメラのさくらや」があったのもそんな背景からだったそうです。

検索すると、中央公園に「写真工業発祥の地(小西本店:現コニカミノルタ跡)」というモニュメントがありました。ちなみに店主の父である先代も、もともとカメラ関係の仕事していたそうで、あのヨドバシカメラの創業者とはお知り合いと聞き、またまたビックリ。名物の豚の角煮を食べのを忘れるところでした。

ヨドバシカメラの名前が出たところで、話は「淀橋浄水場」のエピソードへ。淀橋浄水場は昭和40年まで都内に水を供給していた施設で、その広大な跡地に誕生したのが西新宿に広がる高層ビル群。

店主の記憶に残るのは浄水場が閉鎖され、整地され、ビル建設が始まり、次々にビルが完成していく街並みの変貌でした。

バブル時代、地元の子供たちが三角ビル(住友ビル)を遊び場にしている姿を描いたNHKのドキュメンタリーのことを思い出し、店主に水を向けると、「それってまんま俺たちですよ。毎日、泥警してたもん。吹き抜けだから上の階から下の階にいる泥棒役(逃げ役)が見えるのが楽しくてねぇ。でもって、調子に乗ってると、怒った警備員に追っかけられて、ほんとの泥警になっちゃうんだ」と懐かしそう。

「泥警」といえば、西新宿では、ドラマ『太陽にほえろ』のロケがしょっちゅう行われたそうで、店主の一番の思い出はジーパン刑事こと松田優作さんに「うるさい」と叱られたこと。

浄水場は高層ビル群となり、ガスタンクは新宿パークタワーとなり、池は中央公園となった西新宿。当時の面影はほとんどありませんが、店主は「このへんの道路が2層になっているのは淀橋浄水場の水槽の深さに合わせたからなんだよ」と教えてくれました。

まさか立体交差などの高低差が浄水場の名残りだったとは…。文字通りの「深い話」が聞けて、楽しい夜となりました。町歩きのシメには<店主の“町物語”>がおすすめです。

『品川亭』

住所:東京都新宿区西新宿4-13-13

電話:03-3378-1178

定休:日曜・祝日

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遠藤昇輝
この記事を書いた人

遠藤昇輝

1968年東京生まれ 放送作家として「町歩き番組」のネタを探すため、東京の町を徘徊するが足が向くのは…寄席や美術館など番組とは無縁の世界。趣味が高じて一般社団法人東京遺産協会を設立。 町歩きプランナーとして自治体の魅力発信事業等にも参加。

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