昭和のトップアイドル桜田淳子(58)が、4月に東京・銀座博品館劇場でコンサートを行う。一度限りの公演なのか、このまま定期的に、あるいは精力的に芸能活動を再開させるのか? 活動エリアをどこまで広げるのかわからないけれども、もしかしたら、歌番組もバラエティにも出演OKとするのか!?
個人的には出てきて欲しいが、しかしおそらくそれは難しいだろう。理由は単純なのだが…
かつて彼女は、歌も芝居もコメディも、なんでもできるマルチタレントだった。若い人は「桜田淳子って何者!?」と思うだろう。そこで、どんなスターなのかを主観を交えながらさらってみたい。
「アイドル」と「宗教」
出身は秋田県秋田市。中学2年の時、「スター誕生」(日テレ)という伝説のオーディション番組に出場し、当時の番組史上最高得点573点で合格(合格ラインは250点)。
翌年1973年(昭和48年)「天使も夢みる」で歌手デビュー。年末の「日本レコード大賞」で最優秀新人賞を獲得する。同級生の山口百恵、森昌子の三人で「花の中三トリオ」と呼ばれ国民的アイドルとして人気となり、芸能界のトップを走ってゆく。
百恵派? 淳子派?
トップアイドル時代、世間は“百恵派or淳子派”で分かれていた。
どちらも歌番組やバラエティ番組で活躍し、幅広い年齢層から愛されたが、歳を重ねるにつれ、山口百恵は年齢に反した大人っぽさで、特に20代以上の男性から人気が集まっていった。レコードはもちろん、主演ドラマや映画が次々にヒットしアイドル界の頂点に居たのは間違いない。御存知の通り、人気絶頂にありながら21歳の時に三浦友和と結婚、芸能界を引退する。
桜田淳子は、いわば王道のアイドルスタイルで、子どもからお年寄りまで幅広く愛された。いい意味で、なんでもそつなくこなす器用で安定感のあるタレントだった。
特に、「8時だョ!全員集合」で時々見せる、志村けんとの夫婦コントは絶妙だった。ちょっとしたことで傷つき「私ってダメな女…」と落ち込み、志村がなだめると、一転して「淳子、幸せ~!」と喜ぶ、という流れの繰り返し。(オチは、志村の上着から「おさわりバー、モモエ」とかのマッチが出てきて、淳子が怒っておしまい)覚えている人も多いはず。
アイドルなのに、秋田県出身の特徴から田舎臭い役のコントや、お国訛りで歌を歌うなど、茶目っ気もあった。1970年代には、田植え機「さなえ」(井関農機)のCMに起用され「♪は~るはさなえの季節です~」のCMソングと、最期の決めゼリフ「やっぱり、さなえ、だべさ!」は大好評で、アイドルが赤いホットパンツに長靴を履き、田んぼで農機を操る妙なギャップに親しみを感じた人も多かったに違いない。
また、鼻にかかった特徴的な声からモノマネされやすかったのも親しまれる要因だったろう。男性とのスキャンダルも、沢田研二と一緒にいたところを週刊誌にスクープされたことがあったが、その他は聞いた記憶がない。
【ヒット曲】
・わたしの青い鳥(73年8月25日)
・花物語(73年11月5日)
・はじめての出来事(74年12月5日)
・十七の夏(75年6月5日)
・夏にご用心(76年5月25日)
・ねぇ!気がついてよ(76年8月25日)
・気まぐれヴィーナス(77年5月15日)
・しあわせ芝居(77年11月5日)
・リップスティック(78年6月5日)
・サンタモニカの風(79年2月25日)
楽曲の大半の作詞は大御所、阿久悠。また「しあわせ芝居」「追いかけてヨコハマ」「化粧」など、中島みゆき作詞・作曲の作品を4曲リリースしている。これらのヒット曲を口ずさむ時は、どうしても淳子のモノマネが入ってしまう“淳子あるある”は、私だけじゃないはず(笑)。
1974~1982年まで9年連続で紅白歌合戦にも出場した。
女優として
早くからドラマにも出演していたが、1978年、二十歳の時、東宝歌舞伎の重鎮で映画界の大スターだった長谷川一夫から直々の指名を受け、初舞台「おはん長右衛門」に出演、長谷川の相手役を務めた。この頃から女優業へ徐々にシフトチェンジしてゆく。
舞台では、1980年ミュージカル「アニーよ銃をとれ」で、最年少で芸術祭優秀賞に輝いている。
【主な連続ドラマ】
「25才たち・危うい予感」(84年、NTV)主演
「許せない結婚」(85年、TBS) 銀河テレビ小説
「季節はずれの蜃気楼」(85年、NHK)主演 連続テレビ小説
「澪つくし」(85年、NHK) 大河ドラマ
「独眼竜政宗」(87年、NHK)
「ニューヨーク恋物語」(88年、CX)
アイドル時代を越え本格的に女優として実力を見せ始めたのは、主演を務めた‘84年「25歳たち・危うい予感」だったと思うので、ここから挙げた。
NHKの時代劇「澪つくし」「独眼竜正宗」では、脇役ながら存在感を放っていた。‘88年「ニューヨーク恋物語」は、いわゆるトレンディドラマの先駆け的な作品だったが、ちょっとクセの強い大人の女性をナチュラルに演じた。「私にはチャンスがないっていうの!?」という決めゼリフは印象強く、コントでもよく見かけるほどだった。
【主な主演映画】
松竹「スプーン一杯の幸せ」(1975年)
松竹「男はつらいよ」(1975年)
東映「動乱」(1980年)
東映「イタズ」(1987年)
東宝「白い手」(1990年)
日本ヘラ「お引越し」(1993年)
「イタズ」「お引っ越し」などで、日本アカデミー賞助演女優賞など、多くの賞を獲得。
【騒動】なにがどうしてこうなったのか!?
1992年6月、桜田淳子34歳の時、自分が旧・統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の信者であることと、8月に行われる合同結婚式に参加することを突然発表する。実は、19歳から信者で、きっかけは姉の勧めだった。“合同結婚式”とは、ざっくりいうと、信者の中から教祖が選んだ者同士が結婚するというもので、大ホールクラスの会場に世界から数千人集結して行うイベントだ。(今も毎年も行われている)
桜田は「お父様(教祖)が選んでくれた方だから」と言って会社役員の男性と結婚。その後、3人の子どもを授かって円満に暮らしている。今となっては幸せならば別によかったと思う。しかし、当時はその宗教団体が世間の注目の的だった。統一教会をめぐる様々なトラブルが発生し問題となっていた。そのため皆が桜田を“心配した”という感じがあった。桜田を通じて統一教会にまつわるトラブル、実態をワイドショーなどが報道し話題は膨らんだのだ。
例えば、ある年の合同結婚式のあと6500人の日本人女性が行方不明になった事。合同結婚式で一緒になった国籍の違う夫婦で殺人事件が発生した事、などがあった。桜田自身も、自分の事務所の社長に、親族を通して200万円の壺を売ったとして非難された(※社長は「彼女のためと思って私が買った」と話している)。
世間的なイメージとしては、桜田淳子は洗脳され常軌を逸してしまった。おかしな方向へ行ってしまった、と思われた。ちなみに、桜田の実父は桜田の姉が統一教会に入信した際、全国原理運動被害者父母の会の支部(現・全国統一協会被害者家族の会)「秋田父母の会 陽光会」に参加し会長を務めたこともあった。
桜田は、夫の地元である福井県に移り住んだ。マスコミに騒がれたこともあり、また子育てが大変という理由もあって、‘93年映画「お引越し」の仕事を最後に仕事から遠ざかる。引退宣言はしていないが、それ以来、長くメディアから遠ざかる。いつしか追いかける報道もなくなった。
負のイメージは消せないか?
芸能活動休業中でも、ひっそりと絡んではいた。
2006年、エッセイ出版
2007年、歌手時代にリリースした19枚のアルバムが復刻CD発売
2008年、過去のライブアルバム9枚を復刻CD発売
2013年、デビュー40週年を記念して、本人自薦のベストアルバムにテレビ映像集を加えた「Thanks40青い鳥たちへ」を発売
公の場に久々に姿を見せたのは2013年5月、桜田が慕っていたサンミュージック相澤秀禎会長死去に伴う葬儀に参列した際の事。この時、事務所の方の提案で、デビュー40週年の記念イベントとして、11月に東京銀座博品館劇場でのコンサートが実現する。約21年ぶりとなる一夜限りのステージ、変わらぬ歌声と持ち前のトークで観客を楽しませた。
彼女も三人の子育ての手が離れ、自分の時間が出来たのであろう。また、昔の華やかな頃の自分を思い出したのか、今年4月のコンサートでは今後の芸能活動について何か話すかもしれない。
もしかしたら本格復帰では? という憶測が飛び出したのは、1月に放送されたテレビ朝日の歌番組特番で、長い間封印していた歌唱シーンのVTRを解禁にしたことだ。スタジオにいた森昌子が「じゅんぺい(桜田淳子のあだ名)」と親しみを込めて呼んでいた。花の中三トリオを復活してほしい、との声まで飛んだ。
条件が1つある
冒頭で、本格的な芸能活動復帰は難しいだろうと言ったが、単純な理由を説明する。
オカルト情報だが、これまで桜田から幾度か故・相澤会長へ復帰の相談があったらしい。でも会長はずっと認めなかった。ただし条件が1つだけあった。それは、旧・統一教会からの脱会だった。昔のバッドイメージは脱会しない限り拭えないと考えてのことだった。しかし、おそらく本人は脱会する気はないだろう。
これが全て。
休業中のエッセイ、CDリリースも「布教活動」と囁かれた。4月に行われるコンサートに関しても同じ声は聞かれる。
NOと言われ続けた会長が他界したからかは分からないが、コンサートをきっかけに、もし芸能活動を本格的に再開させると本人や事務所が言ったとしても、特にテレビ出演は難しい(ワイドショーは別かもしれないけど)。第一に番組スポンサーがイメージを嫌うだろう。彼女にその影が付き纏うのはしょうがない。残念だが昔のような活躍を見ることは、おそらく叶わないはず。まあ、そのあたりは本人が一番わかっていると思うけれども。