SAMは元アイドルだった!和製外国人「リフラフ」って?

2020/10/07
放送作家 石原ヒサトシ

10月3日O.A「有吉反省会」特番で『Riff Raff(リフラフ)』という1980年代に活動していた男性アイドルグループが紹介されSNSがザワザワした。多くの視聴者が驚いたのは、そのメンバーにTRFのSAMさんがいたこと。ちなみにジャケット左下がSAMさんである。

番組では「売れるために必死すぎ事件」とタイトリングされ、当時の活動ぶりが紹介された。

キャッチフレーズが「和製外国人」、派手な髪型とメイクを施し原色系のスーツ衣装で歌い踊っていた。メンバーは年齢を2つほど若くサバを読み、イベントでは女装をしてファンを喜ばせるなどムチャクチャっぷり満載。極め付きはシングル「東京涙倶楽部」がイギリスのワム!がリリースしたばかりの「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ(邦題)」と酷似していたこと。それは完全にパクったのがバレバレのレベル。インタビューに登場したSAMさんは当時を振り返り「売れるためには何でもやった」と話し大反省していた(笑)。

データが少ないリフラフ

そんなリフラフを憶えている人は40~50代以上のはず。私も少し記憶していて「トシちゃんやマッチとかジャニーズ系がいなければもっと売れるかもなぁ」と思ったものだ。

そこで、かなりマニアックなネタだがリフラフを調べてみた。が、実はWikipediaにすら専用ページがないレベルだったので苦労した。内容に間違いがあったらごめんなさい。

【リフラフ】意味は“ろくでなし供”“人間のクズ”。命名はピーター・バラカン(DJ、音楽評論家)。1984年シングル「セクシー100%」(ワーナー・パイオニア)でレコードデビュー。

メインボーカル:チャッピー

コーラス&ダンサー:ユキ、ヤッコ、サム

シングルは「ANO…娘」「夢のエリア」など4枚、アルバムは「リフラフ倶楽部」1枚をリリース。約3年で活動終了

1982年に「チャンプ」というグループ名で一度デビューしているが鳴かず飛ばず。スタイルを変えてアイドルユニット「リフラフ」として出直した。当時、カルチャークラブやデュランデュランといったUKグループが4人組だったこともあり、また音楽にもシンセサウンドを取り入れたところヒットした。

ファンクラブや親衛隊も結成されていて、出演したライブハウスや、アイドルイベントがよく行われていた西武園ゆうえんち、アイドル番組を多く放送していたテレビ東京などには出待ちファンが詰めかけるなど、いわゆる“おっかけ”も沢山いたようである。

その頃、私の女友達にリフラフファンがいて「ジャニーズばっかりじゃ飽きた」と言っていたのを思い出したが、そういったアンチジャニーズ派も多かったかもしれない。

ちなみにリフラフ解散は、SAMさんが「米国へダンスの勉強に行きたい」と言ったことがきっかけだったとか。当時、ダンサーとはボーカルの後ろで華を添えるバックダンサーとしか受け止められていなかった時代だったが、ニューヨークでダンスに磨きをかけたその数年後、小室哲哉のダンスミュージックと見事マッチングしてTRFでブレイクしたというわけ。

写真:本人ツイッターより

では、他のメンバー3人はどうなったのか?

リアルな現在の状況まで到達できなかったが、リサーチしてみると・・・

チャッピー・・・1987年に石崎伸一の名でソロデビューしアルバムもリリース。その後、テレビ東京「ASAYAN」などのテレビディレクターをしていたとか。

ユキ・・・こと矢作幸裕さんは歌手AIさんのマネジャーなどをしたあとダンス教室を開いて指導しているとか。

ヤッコ・・・こと長坂泰彦さんは芸能界から退いてビジネスマンとして成功し社長をしているとか。

 

ちなみにリフラフが活動していた‘80年代に頑張っていた、知る人ぞ知る男性アイドルといえば、竹本孝之、本田恭章、中村繁之、井浦秀知、長島ナオト、少年忍者、平家派、CHA-CHA・・・などがいたが、みなさん憶えていらっしゃるだろうか。

 

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放送作家 「クイズ雑学王」、「ボキャブラ天国」等 バラエティを中心にイロイロやってきました。なんか面白いことないかなぁ~と思いながら日々過ごしています。野球、阪神、競馬、ももクロ、チヌ釣り、家電、クイズ・雑学、料理、酒、神社・仏閣、オカルトなことがスキです。

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