三度、三冠王を獲得した落合博満氏、メジャーで2度のノーヒットノーランを記録した野茂英雄氏と大記録を複数回成し遂げる選手がいる一方で、あと一歩、指先届かなかった悲運の選手は多くいます。今回は悲哀を感じる大記録まであとわずかだったのにという選手を紹介します。
三冠王までもう一歩だった……
NPBにおいて打撃三冠王となったのは7人(のべ11回)。最後の登場は2004年、ソフトバンクホークスの松中信彦氏。
これにわずかに届かなかった二冠といえば現代では02年、打率が9厘届かず2位だった巨人・松井秀喜氏、そして03年、こちらも打率3厘届かず2位だったヤクルトのアレックス・ラミレス氏がいます。
レジェンドでいえば、49年、阪神の藤村富美男氏が本塁打、打点のタイトルを獲得しますが打率は.332で2位。2分9厘差で大映の小鶴誠氏(.361)に阻まれました。しかし翌年、今度は小鶴氏が二冠を獲得すると、首位打者は.362の藤村氏。小鶴氏は7厘の僅少届かず2位でした。
さらにもっと悔しい思いをしているのではないかというのが中西太氏。二冠を4度達成していますが……
53年、打率4厘差で2位、55年、打点1点差で2位、56年は打率5毛差で2位、58年は暫定三冠王で最終戦を終えライバル選手の最終戦の結果次第となったところ、ライバルは最終打席で本塁打を放ち単独打点王に。中西氏は1打点差で涙をのみました。
完全試合まであと一球……
完全試合はこれまでの歴史でたったの15人しか達成しておらず、最後も94年の巨人・槙原寛己氏でストップしています。この大記録にあと一歩届かなかったのは元西武・西口文也氏。05年の楽天戦、9回を完全に抑え込みますがなんと味方の援護が無く延長戦へ。そこでヒットを打たれ快挙を逃しました。西口氏はそれまでにもノーヒットノーランを最後の打者で阻まれたことが2度ありました。
さらに悲運ともいえるのが南海~巨人で310勝を上げ、シーズン47完投というアンタッチャブルレコードを持つレジェンド投手・別所武彦氏。1952年、巨人対松竹戦。9対0で巨人が大量リードの上、別所投手が完全試合ペースで9回のマウンドへ。簡単に2アウトを取り最後の打者は代打で送られた神崎安隆選手。普段は試合に出ることの無いブルペン捕手だったといいます。神崎選手は出塁を果敢に2度のセーフティーバントを試みますがいずれも失敗し2ストライクと追い込まれます。その後3球続けてボール判定でフルカウント。完全試合まで最後の1球。神崎選手が打ったボールはボテボテのショートゴロ、遊撃手は流れるように一塁に送球しますが、わずかに神崎選手が早く駆け抜け内野安打。別所投手は完全試合どころかノーノーも逃してしまいました。実は神崎選手、これがプロ初ヒット。しかもプロ生活実働3年で引退するのですが、生涯9打席でヒットを放ったのは後にも先にもこの一本だけ。この1本が完全試合阻止という貴重なものとなりました。
歓喜のサヨナラホームラン・・・・・・・のはずが!?
サヨナラホームラン……ゆっくりと観客の拍手を浴びながら喜びを噛みしめ、ホームインすればチームメイトから祝福が送られるバッターとしては最高の瞬間。しかし、サヨナラホームランを打ったにもかかわらず、ホームインできず絶望すら味わった選手がいます。
91年、大洋対中日戦。6-6で迎えた延長10回裏。バッターの彦野利勝選手が内角のスライダーを引っ張り、レフトスタンドに叩き込みました。勝負を決するサヨナラホームランにホームの一塁側スタンドは歓喜にわき、一塁コーチもガッツポーズ。ところが打った彦野選手、一塁ベースを回ったところで急に転倒。右足を抱えうずくまってしまいました。これ以上走れないということで代走を告げられ別の選手が走者としてダイヤモンドを一周。彦野選手はチームメイトにおぶられグラウンドを去りました。実は彦野選手、一塁ベースを回る際、歓喜のジャンプをしたところ右足をひねってしまい靱帯断裂、わずが82メートル先のホームにたどり着くことさえ出来ないほどの重傷を負い長期離脱を余儀なくされました。ちなみにホームランで代走が出されたのは2例あり69年、近鉄のジムタイル選手、サヨナラでは彦野選手が唯一だそうです。
タイトルを総なめにしたり大記録を何度も成し遂げたりする選手がいる中で、どうしても手が届かない選手もいます。結果的に獲得できなくてもいつか悲願達成があるのではないかとロマンを感じさせるのも野球選手の魅力ですね。