「できないとは言いたくない。」才能と熱意とコミュニケーションで部品研削加工会社を支えるヒカリセイコー代表インタビュー

2022/07/27
マガジンサミット編集部

今回は、愛知県大府市にある製造業、有限会社ヒカリセイコーの代表取締役の伊藤亮さんに、事業内容や社長就任の経緯、就任後の取り組み、ポリシーなどについて話を聞いた。

ヒカリセイコーは、顧客との信頼のために「品質第一」を理念に掲げ、工作機械の部品・自動車関連、その他、あらゆる産業の「部品研削加工」を行っている会社である。

顧客から依頼があった際、「他社からこれはできない。無理と言われた」という案件も、「できない」とは言わず、できるかぎり対応しているそうだ。「基本的に、やれるかやれないかではなく、やるかやらないかのちがい。『やれません』と言うのは簡単ですが、やれそうならちょっと工夫してやってみようなと顧客の期待に応えたい」と伊藤さん。ヒカリセイコーがどのような会社なのかが垣間見れる回答だった。

そもそも伊藤さんは1978年に愛知県に生まれ、家の隣がゴルフの練習場だったことから、幼少期からゴルフにのめり込み、将来の夢はプロゴルファーになることだった。しかし、途中から「道具」に興味を持ち始め、自らゴルフクラブを作り始めた。ものづくりの血筋が理由なのか、小学生になるとプロゴルファーではなく、クラフトマンとして研鑽を積んだ。伊藤さんは、「物を作ったり分解したりするのが好きで、幼い頃もプラモデルなどが大好きでした。半分アーティスト、自己満足の世界だと思っています。顧客のために合ったものを作るのですが、いかにそれをきれいにピッタリしたものを作れるかというところが好きだった」と話した。

そんな伊藤さんに大きな転機が訪れる。当時働いていた会社の代表が病に倒れ、会社が解散。そこで地元愛知で、祖父が会長をつとめていたヒカリセイコーに入社。それが2011年のことだった。持ち前の手先の器用さから、特に困ることはなく、そして、妥協することなく研削技術に磨きをかけた。そのような中、定年により同社の代表からバトンを受け継ぐ形で、2019年に伊藤さんはヒカリセイコー代表に就任した。

代表就任当時は、プレッシャーでしかなかったというが、コミュニケーションの取りやすい会社にするために動いたという。伊藤さんは「もともと人間関係が悪かったわけではないが、特にあまりしゃべることもないという感じだったので、普通にコミュニケーションがとれる会社にしたいと思った」と解説する。

やがてコロナ禍に直面し、売上は下がったが、「やりたいことはやれたし、会社としては楽しくしたかった。ただそれだけでしたね」と伊藤さん。働いていて楽しい、風通しのいい会社を目指し、コロナ禍でできた時間を利用し、掃除や機械のメンテナンス、社員同士のBBQなど、さまざまな取り組みを行った。結果、社員たちとはプライベートの話もよくするようになり、満足していると伊藤さんは話す。

そして伊藤さんは、職人としてポリシーをこう繰り返す。「できないとは言いたくない。どうしてもうちの設備では何をやってもできないということはあるが、それ以外はなるべくできないって言いたくない。そこだけ。とりあえずやってみる。挑戦してみるようにしています」。そう、伊藤さんは、モノづくりへの情熱を語ってくれた。

次なる挑戦はいかに? そう尋ねると、伊藤さんは「少しずつ従業員を増やしてちょっとずつ会社を大きくできたらいい。あとは夢のある仕事がしたい。例えば宇宙系とか、『うちが作った部品が飛んでるぞ!』みたいなのをやってみたい」と少年のように目を輝かせた

最後に若者たちへのメッセージとして、「自分の手で作り上げていく面白味を体験していただければ」と伊藤さん。「日本の産業を支えていくという意味でも、面白いのではないかと思います。ぜひ若い人たちが、どんどんこの業界に入ってきていただいて、僕らの跡をついでいってくれるような人たちがたくさん増えていけば、将来、もっとより良いものが日本から生まれていくのではないかと思います」。そのように伊藤さんは、締めくくった。

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