大阪の陣では家康をわずかな手勢で窮地に陥れ華々しく散った真田幸村(以後本名『信繁』)。敗軍の将にもかかわらず、その活躍は後に講談や小説の題材となり現代でもゲームや漫画にもなっています。
その一方で過大評価と断ずる人もおり、もっとスポットライトをあてるべき武将がいるのではないかと提言する人も。
謎の砦“真田丸”も登場し、いよいよクライマックスをむかえている三谷幸喜脚本、堺雅人主演の大河ドラマ『真田丸』では、そんな信繁の陰に隠れ功績があまり語り継がれていなかった武将も多く登場。
出典 http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/
なかでも、豊臣方の3人の武将にあらためて注目です。
イケメンの若武者 戦場で美しく散るために…木村重成
色白の美丈夫と伝わる重成。20代前半、大阪冬の陣で初陣を果たし、後藤基次(又兵衛)とともに奮戦。数に勝る徳川勢と互角に渡り合います。
そして夏の陣。もはや旗色は変えられない戦況の中、重成は出陣前に死を覚悟し入浴し洗髪。香を焚き体を清め、最後の戦場へ。善戦しますが戦死。重成の首は実検のため家康のもとに運ばれると、清められた髪や香のかおりの美しさに家康は感動したと伝えられています。
逆臣?豊臣家の名を残すために奔走した 片桐且元
豊臣家を裏切り多くの物語で逆臣扱いされている且元。しかし、関ケ原の合戦以後、政治の中心が徳川方に移っていたにもかかわらず冬の陣で10万人もの兵を集めたのは且元のおかげと言われています。
また、一触即発となった豊臣方と徳川方で且元は講和の道を探り奔走。一大名としてでも豊臣の名前を残そうとしますが、スパイ容疑をかけられ居場所を失った且元は徳川方へ。結局、夏の陣で敗れた豊臣家は滅亡、且元もすぐに病死。一説には豊臣家滅亡を憂い、自害したとも言われています。
戦国無双 家康の首まであと一歩と迫った 毛利勝永
夏の陣も佳境、豊臣家の敗色濃厚。それでも一発逆転を狙ったのが勝永。勝永、信繁ら精鋭部隊は、わずかな手勢で家康本隊の正面に布陣。突撃をかけると、次々と徳川勢を攻撃し壊滅状態に。混乱する徳川勢、やがて家康本隊が丸出しとなり、勝永、信繁は家康と肉薄。家康はこのとき切腹を覚悟したといわれています。
しかし、兵力の差は埋められず、徐々に追い詰められ、信繁が討ち死に。奮戦する勝永でしたが信繁隊壊滅を聞き退却を決意しました。勝永の戦いを見ていた徳川勢の黒田官兵衛の息子・長政は称賛をもらしたと言われています。
主家のため命を散らす者、名を存続させるため汚名を受ける者、いずれも豊臣家に最後まで忠臣を全うした武将たち。信繁は優れた武将ですが、同様に命を賭した武将たちに目を向けると、真田丸ももっと楽しく観られるかもしれません。