SNSで台風の被害や援助の声が拡散されてその影響力に驚いた。復興支援に力を注いだ株式会社Re.TSUKULの代表取締役 福原 巧太さんが当時の状況を語る

2022/05/18
マガジンサミット編集部

今回もお話しを伺ったのは建築業を中心にコインランドリー事業など幅広く事業を行っている株式会社Re.TSUKULの代表取締役 福原 巧太さん。令和元年に起こった千葉県の房総半島台風の災害でのSNSの大きな影響、復興支援についてなど話してくれた。

2019年9月8日の夜中に大きなニュースにもなった房総半島台風がおきた。大きな台風で風速65mの風が吹き、経験豊富な大工が丈夫に建てた自分の家でさえ夜中に雨漏りがするほど状況は酷かった。雨漏りの原因は2階のベランダで水が溢れてしまっていることだった。一晩中、水かきをして排水の作業などを行い、朝をなんとか迎えた。

そして扉を開けると近所の家の屋根が隣の家の敷地に飛んできていて、その残骸が自分の家の前の車に引っ掛かっているという酷い状況が目の前に広がった。あまりにも驚いてその時、写真を撮影したと福原氏は言う。元々、大工だったので台風などの災害があった時は常に対応に追われる。普段は多くても50件ほどだったが、今回の被害は酷くて夜中から電話が鳴り止まなかった。そして当時、工事に当たっていた現場に向かうと足場が隣の家に倒れてしまうほどの被害が出ていて1日中、復旧作業に追われた。

停電もあり電波がつながりづらい状況ではあったが、災害後2日目に光回線が通っている場所に行く用事があったのでふと、撮影した写真と一緒にFacebookに「今このような状況です。助けてください」と会社名、個人名、連絡先も含めて投稿。するとそこから多くの人から連絡がきて、最終的にいいね数が3500、シェア数が6000件にものぼって拡散された。それから支援の連絡などでひっきりなしに電話がなり続け、SNSの凄さを実感したと当時を振り返る。

SNSの影響でブルーシートや土嚢袋などの支援物資が届き始め、災害後3日目、4日目には宅急便のトラックの荷物が全部、福原氏宛の支援物資にもなったほどだ。最終的には約450人から支援物資が届き、屋根の上の作業という危険が伴う中、1日で150人ほどボランティアも集まった。地元の地域団体に協力してもらい、そこのInstagramでも被害状況などを投稿、拡散。それにより更なる援助を受けることができ活動の幅も広がったと話す。

集まった人への指示や支援物資の配給などに忙しく追われる復興支援活動期間が台風後3ヶ月続いた。地元を助けないと、という使命感と支援者の想いも受けてその期間はボランディアで行い、社員には給料を払うという収入なしで行っていたと言う。大変ではあったが、人との繋がりに感動と感謝が溢れたと福原氏は語る。地元の地域団体メンバーは自分たちが被災していることも忘れてしまうくらい、人助けに必死になり絆が深まったと福原氏は当時を思いだす。

復興支援の対応が忙しかったこともあり、隣町にあり大きな被害を受けた両親の家にはなかなか行けず、タイミング悪く更なる台風がきたことにより、自分の祖母の家が雨水で水浸しになってしまった。そして思い出の家を取り壊すことになった時、その家を守れなかった悔しさと責任を感じた。

その時に福原氏は責任を取りたいと両親に申し出て、父親が建てた福原建築を受け継ぎ、今の名前である株式会社Re.TSUKULで再スタートを切ることになった。今まで父親が大工としてつくり続けてきたものを、これから自分は2代目としてリノベーションなどでつくり変えるのが使命だと思い、この社名にしたと語る。そして災害を経験したことで人を繋ぐ街づくりとしてもこの会社を運営したいと思っていると言う。

その後、復興支援も少し落ち着いた頃に支援物資として支給され、屋根に使用したブルーシートの活用方について捨てずに何かできないかと話が上がった。調べたところ熊本地震の際にブルーシートバッグを作ったという事例を聞いて、この地域でもつくることになった。そしてクラウドファンディングを行い、使用済のブルーシートを再利用してバッグを作り始めた。こうやって台風の災害から福原氏の役割や仕事に対する想いは大きく変貌を遂げることとなる。次回は一緒に働く仲間や社員について話を聞いた。

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