「有名になる目的は私たちの存在を知ってもらって、困っている会社や経営者をもっともっと助けたいです。」
アメリカのロックバンドとの出会いによって音楽の道を突き進んでいた賢者。父が経営するコンサルティング会社を継ぐために180度違う世界に飛び込んだ。身をもって体験したキャリアを武器に賢者が導き出した経営コンサルの極意に迫る。
創業以来40年以上にわたって蓄積してきた多彩なノウハウを活かし、マーケティングとマネジメントをキーワードに困っている企業を助ける経営コンサルティング会社である。
「お客さんは大手と中小企業との二つに分かれていて、大手はマーケティングなどが中心。現在、コンサルとして頑張らないといけないのは、方向性がわからず、困ってる中小企業の経営者向けのサポートです。そして我々としてもこのコンサルの仕事にもやりがいを感じています。」
小さい頃から人前に出ることが苦手な性格だったが、中学生の頃に出会ったロックバンドが賢者を変えた。
「中学3年生の時にアメリカのロックバンドのキスというメイクをしているバンドを知りました。すごい衝撃的で好きになり、高校生からギターを始めて、ステージに立つようになると喜んでくれる人々がいるのを実感したんです。その頃にやれば出来るという自信がついてきたんだと思います。」
バンドの中心メンバーとして精力的に活動をしていたが二十歳の頃、夢半ばにして音楽の道を諦めた。
「会社を継がないといけないと幼少期からずっと言われてきました。そのため、バンド活動と家業の両立に葛藤しました。そのような時、X JAPAN のメジャーデビューを聞いて、とてもかっこよく、その凄さに圧倒されました。自分達はいつメジャーデビューできるのか分からないと思い、バンドを辞める決意をしました。そこからマーケティングを学び始めました。大学の頃はマーケティングを専攻してゼミで勉強していたのですが、マーケティングについて全然わかっていなくてコンサルとは難しそうな仕事だなと当時は思っていました。」
大学卒業後は大手量販店を運営する企業へ入社。小売業の経営を学ぶため上司のもとで仕事に励んでいたが・・・
「当初の畜産部門のチーフが気分屋チーフで有名な人でした。マネージャーがふと僕のところにきて、チーフへの誘いを受けました。売り場の全従業員が現チーフを敬遠していて、中坊さんだったらついていくと言っていると言われたんです。その時に同じチームのメンバーから認めてもらえる、だからリーダーになれると身をもって体験。すごくいい機会をもらえたなと思います。」
その頃、父の会社に商業施設を開発する計画が舞い込んだ。この仕事に協力してほしいと父から退職を命じられた。
「タイミングも悪く、チーフになってから3〜4ヶ月後くらいでした。もちろん続けたかったです。チーフとして任され、みんなで頑張ろうと言っていた矢先だったので辞めるのは無理だよという心境でした。」
仕方なく退職した賢者は商業施設内のテナント50店舗の売上支援を担当。1店舗ずつ面談していく中で後のキャリアにつながる貴重な体験をした。
「神戸の老舗の文具小売店がいて、20代後半の僕が専務。先方が当初50代の方でした。今の施設全体の状況についてお話しして、競合店に負けないためのポイントや雑貨業種の今年度の重点テーマなど含め、年間の売上目標を施設全体の状況から逆算して解説しました。すると、僕の方が年下にも関わらず、その専務さんが非常に参考になります。ありがとうございました。と丁寧な感謝の言葉を伝えてくれました。このことで、売上とか利益向上のために何ができるかということを考えて、WIN・WINの関係が築けるということを学びました。」
その後、施設の運営管理ができる人材育成までの業務をやり遂げ、NMR流通総研へ帰任した。ところが・・・
「出向先から戻ってきて、NMRでのキャリアはゼロのため、最初は何も仕事がなかったんです。そのため地道に自分で色んな人脈を広げていき、コンサルとして自分で受注をしてくることが1年目で少しずつできるようになりました。 それから売上を伸ばし、徐々に主要メンバーになっていき部長になり、専務に就きました。そのような流れで、だんだんと会社の売上に占める自分の実績が大きくなっていく時期がしばらくは続いていきました。」
そんな矢先、父が癌で倒れた。
「癌のステージ4で先代の余命が2〜3ヶ月と宣告されました。それを聞いて、どうしようという思いだけでした。なんとなく将来、家業を継ぐことは昔から考えてはいたのですが、今からやるという現実が急にきた感じでした。」
仕事の引き継ぎができない状況であったが、先代の後を賢者が継いだ。
「先代の社長と僕ではキャリアが全く違うので、業務品質が劣化するのは否めませんでした。複数回の小規模研修により密な関係性を築くことで何とか乗り切ろうと必死でした。」
社長へ就任して4年。今までの成功体験が賢者の根底を築いている。
「自分なりに成功した体験を振り返ることで成功要因が掴めるんです。その要因を自分のキャリアとして持っておくようにしています。今までの経験上で上手くハマりそうな具体的な事例をご紹介するのですが、色んなことをやってきているコンサルタントだからできると思うのではなくて、人ができることは自分もできるという考え方も大事だと思います。」
困っている企業をもっとたくさん救うために、賢者は動き出した。
「数年前からもうちょっと有名になりたいなと思うようになりました。それはNMR流通総研の認知が広がれば、もっと救える会社があると言われたんです。その話を聞いてなるほどなと思い、2020年、会社のホームページをリニューアルして、それからYouTubeを始めました。困っている経営者・企業を助けたという思いからスタートしました。」
日本を背負う若者へメッセージを最後に語った。
「人というのは、どんな形でも必ずキラッと輝くいい部分があります。それに気づけると活躍できる人になっていくことができます。自分が本気でやりたいことをしっかりと考えて、頑張って進んでいくことが大切だと思っています。」