【スポーツ】実は改革で生まれたあんなルールこんなルール

2017/09/16
放送作家 石原ヒサトシ

20代の若い衆と野球の話になった時、「高校野球は昔、木製バットだった」と話したら、すごく驚いていた。来年で夏の高校野球は100回目を迎えるが、そんな頃から金属バットなんてあるわけない、と言ったら、「100年前に鉄はありましたよね?」と返されて笑った。

 

そこで、メジャーなスポーツで、今では当たり前になっているけど、実は改革されたあんなルール、なくなったこんなルール、をいくつか紹介してみたい。基準は、年配者が「昔はな~・・・」と話せるような、ちょい昔、30~40年程前までとする。

 

サッカー

『ゴールキーパーはボールを持って4歩以上歩いたら反則だった』

記憶では、昭和50年代頃までは、サッカーのGKがボールをキャッチして移動する時、少しかがんでボールを転がしては拾って、また転がしては拾って、というプレーをよく見た。憶えている人はおそらく40代以上だ(笑)。「面倒なルールだなぁ」と思ったものだが、ちゃんと調べてみたら意味がわかった。

 

昔は、「GKはボールを保持しながら4ステップ以上歩いてはならない」という制限があり、反則すると間接フリーキックが与えられた。制限がないと無駄に歩いて遅延行為につながるからだ。

 

ボールをコロコロ転がす様はだんだん見なくなったが、あれは格好悪いから減っただけと聞いた。また、4歩進むと反則なのでペナルティエリア外の味方選手とパス交換をするプレーが増え、実際には遅延の効果的な策とは言えなかったそうだ。

 

1999年には、ボールを保持してからの歩数による制限にルールが追加され、GKがボールを手または腕で56秒以上保持したときは、遅延行為として反則。歩数制限と味方選手とのパス交換の繰り返し禁止に、新たに時間的制限が加えられた。

 

2000年からは、GKの手によるボール保持について時間による制限のみにルール変更。歩数による制限はサッカー競技規則からなくなった・・・というかそれまで歩数制限ルールが生きていたとは知らなかった(笑)。つまり、今は、GKは何歩でも歩いていいけど6秒保持したら反則となるわけだ。ちなみにサッカーのルールは、毎年3月に改正会議が行われるそうである。

 

バスケットボール

『どこからシュートを決めても2点だった。3ポイントルールなんてなかった』

私が小学生だった頃、NBAで「遠くからシュートを決めると3点入るルールができた」と聞き、当時からスポーツオタクだった私は「これは面白い!」と興奮した覚えがある。当時、NBAを知る小学生は殆どいなかった。体育の授業で先生に3Pルールを提案したら「知ったかぶんじゃねえ」と言われた(笑)

 

改めて調べてみた。

アメリカNBAで3ポイントルールができたのは1979年(昭和54年)のこと。このルールが広がり、世界標準になっていった。

 

なぜ3ポイントルールができたのか? 

それまでは、フリースローによる1点、通常のシュートによる2点だけだった。3点入るルールができれば逆転劇も増え、試合がよりエキサイティングになるから。また、「3ポイントルールは、バスケットボールを変えた」とも言われる。最高2点までしか入らない時代は、ゴール下付近まで入ってシュートするのが普通で、ディフェンスもゴール下を固めるのが当たり前だった。

 

しかし、3ポイントルールができると、オフェンスもディフェンスも戦術がワイドになり、これまで選手がゴール下へ行ったり来たりで単調だったのがガラリと新しく変わった。動きの激しい魅力的なスポーツとなり人気は飛躍的にアップした。

 

また、それまでは身長が高い選手ばかりが貴重とされたが、身長が低くても3ポイントの名手だったり、スピードとテクニックに秀でていたり、司令塔になれるなど、個性が際立てばレギュラーも夢ではなくなった。3ポイントシュートは、子どもたちに夢を与え、競技人口を増やし、そしてNBAをはじめ世界的人気スポーツへ押し上げたと言っても過言ではない。

 

バレーボール

 

『サーブ権がないと得点が入らなかった』

どういうこと? という人も多いはず。現在はラリーポイント制の25点マッチで、スパイクが決まったり、相手がミスすれば1点加算されるが、これは1999年にスタートした国際ルールだ。それまでは、「サイドアウト制」といって15点マッチで、得点を加算するにはサーブ権を持っていなければならなかった。

 

どういうルールかというと、例えば、日本対アメリカ戦で、最初に日本にサーブ権あったとしよう。日本がサーブし、アメリカの攻撃をしのいでスパイクを決めた。これで得点1が入る。そのあと、アメリカにミス、サービスエースなどが決まり得点が加算された。しかしアメリカが一本スパイクを決めた、得点は0のままでサーブ権だけが移動した。

 

このように、サーブする権利を先に取らないと得点が入らないというルールだった。このため、特に強豪国同士の対戦だと、サーブを打って相手側のスパイクが決まるパターンの繰り返しが多く、サーブ権の行ったり来たりだけで得点は入らずで、試合時間だけがいたずらに長くなるのだった。

 

これでは、お客さんもダレる、選手の体力の消耗も激しい、試合時間が3時間にも及びテレビ放送時間に支障をきたす、という様々な理由があって、1999年に現在のラリーポイント制が導入されたのだ。これで平均試合時間はかなり短縮された。

 

ラリーポイント制は、そもそもサイドアウト制時代の第5セットのみ採用されていたルールで、スピーディーに試合が進むため全面導入に至った。全部ラリーポイント制にすれば試合が速いのに、と子どもの頃よく思っていた。

 

ただ、この「ラリーポイント制」導入当時は、「日本に不利」とよく言われた。日本は、拾って繋いで粘るバレーが信条だ。サーブ権を奪われてもまた奪い返してねちっこく攻めて点を取るバレーで世界のトップクラスにいた。高さとパワーで劣る日本は、その後の低迷に幾分かの影響はあったと思う。

 

『リベロはいなかった』

国際ルールとして定められたのは1998年から。ラリーポイント制導入よりも前なので、これを聞いて驚く若い人も多いはず。しかし、イマイチ役割がわかっていない人も多いようなので、ざっくりと説明する。

 

一人だけユニフォームの色が違うのがリベロ。大きなポイントを言うと「守備」に特化したポジションであること。

 

「ネットより高い位置からボールを打ってはダメ(スパイク、ブロック)」

「サーブは打てない」

「交代できるのは後衛の選手のみ、無制限で交代できる」

 

など、他にもあるが、守備の苦手なアタッカーが後衛に回った時(宣言なしに何度も勝手に交代できる)、スパイクを拾う率、更にセッターに渡す確率が高くなる。また、交代時に監督からの伝令も随時伝えられるなど、かなり重要な役割を担う。

 

ちなみに試合に必ず出さきゃいけないというルールはないそうだ。リベロは、背の低い選手でもできることから、競技人口増加にも一役買っているとされる。

 

高校野球

「選手の手袋は禁止だった」

打者の手袋、捕手の守備用手袋、走塁時の手袋、など昔は全面的に禁止だった。1995年(平成7年)から、負傷箇所を保護する目的で可能に。1997年(平成9年)には、

 

1:投手の打撃時および走者となった時の投げ手

2:捕手の守備時の受け手

3:監督、コーチのシートノック時

 

なお寒冷地において、特に気温の低いときは、主催者の判断で特例として打者の手袋着用を認めた。選手だけじゃなかったというのは驚き。1999年(平成11年)から、次の条件を付けて手袋の使用を認めた。

 

1:リストバンドを兼ねたようなものは禁止し、手首から先のものとする。

2:スプレイの使用は手袋の磨耗が激しく、打者が優位になることもあるので禁止する。

3:経済性の点からパットを補強したような高価なものは使用しないよう指導する

 

なぜ、こんな頑なに制限をしなければならないのかとても疑問。資金面で道具の豊富さに差が出ないよう、負担をかけず平等に、という概念が根底にあるとも聞いたが、なんとなく昔からの風潮で「子どもにそんなものは必要ないでしょ」という安易な理由という気がする。

 

『試合途中にグラウンド整備は行われていなかった』・・・はず

これは、私の記憶が正しければ・・・なので、間違っていたら謝罪するが、おそらくそうだった。現在では5回終了時にグラウンド整備が行われ、土がきれいに均されるが、これは平成に入ってから。

 

というのも、テレビ中継で「今大会から、5回終了時にグラウンド整備が行われることになりました」とアナウンサーが話したのを憶えているから。昔は試合途中に一度も土は均されず、9回まで荒れたままだった。

 

古い話だが、昭和44年夏、三沢対松山の延長18回の激闘も、グラウンド整備はされず(一度されたかもしれない)、18回裏の内野ゴロはイレギュラーバウンドした球がちょうど野手の正面を突き捕球していた。子供の頃、荒れたグラウンドでイレギュラーが連発し「一度くらいグラウンド均せばいいのに、選手がかわいそう」「高校野球だからそのままやれというのか?」とよく思った記憶がある。

 

このネタ、誰も注目しないことなのか、いろいろリサーチしたが明確な記述が見つからなかった、高校野球大好き芸人さんにも伺ったが「わからないです」と回答があった。ご存じの方いませんか?

 

プロ野球

 

「危険球退場なんてなかった」

投手が、特にストレート系の球を投げて打者の頭部に当てた場合は「危険球」と見なして一発退場となるルール。昔はなかったことくらい察しはつくだろうが、ではいつからこんなルールができたのか?

 

事の発端は、1994511ヤクルト対巨人の試合で、危険球をめぐる乱闘事件が起きたため。セ・リーグで緊急理事会が開かれ、危険球退場のルールを制定した。パ・リーグが導入したのは2002年から。

 

プロ野球は細かいルール改正が毎年のように行われる。最近では、

 

「併殺を試みる塁への危険なスライディング禁止」(2017

「コリジョンルール(ホームベースブロック禁止)」(2016

「本塁打のビデオ判定」(2010

 

こういったルール改正も、昔はなかったと知って驚かれるだろうか。他にもいくつかあるのだが、マニアックになりそうなのでここまでに(笑)。

 

あくまでも個人的意見だが、ボクシングでラウンド残り10秒という所でセコンドが「カン!カン!」と拍子木のような音を鳴らして合図を送るのが普通になった。もちろん昔はこんなことしなかった。

 

これは確か、90年代のK-1で始まり、ボクシングにも派生した事だと思うが、どうもあれは好きになれないので「10秒前の合図禁止ルール」は作れないだろうか。「ボクサーは3分間を体内時計で覚えるのが普通だ」と、ある名ボクサーが言っていたし、その通りだと思うので。

 

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放送作家 石原ヒサトシ
この記事を書いた人

放送作家 石原ヒサトシ

放送作家 「クイズ雑学王」、「ボキャブラ天国」等 バラエティを中心にイロイロやってきました。なんか面白いことないかなぁ~と思いながら日々過ごしています。野球、阪神、競馬、ももクロ、チヌ釣り、家電、クイズ・雑学、料理、酒、神社・仏閣、オカルトなことがスキです。
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