核をチラつかせ世界を挑発する北朝鮮。もしも戦争になったら、きっかけは「核開発をやめろ」「やめない」ということか? そこで思った。戦争が始まるきっかけってどんなものがあるんだろう?
例えば、「第一次世界大戦が起こるきっかけは?」学校で習ったかもしれないが、説明できない人って結構多いはず。
1914年6月28日、オーストリアの皇位継承者フランツ=フェルディナント大公夫妻が、陸軍の軍事演習視察のためボスニアのサラエヴォを訪問中に、反オーストリア運動結社「黒い手」のメンバーだったセルビア人に暗殺された。世に言う「サラエヴォ事件」だ。オーストリア政府は激怒し、セルビア政府に最後通牒を突きつけるが回答がなかったため、戦争が始まってしまう。
余談だが、“第一次”は第二次が起こったからそう呼んでいるだけ。当時は「大戦」「世界大戦」「欧州大戦」などと呼ばれていたとか。
では、「第二次世界大戦が起こるきっかけは?」
見解としては1929年10月にニューヨークで起こった株大暴落、いわゆる「世界大恐慌」が元凶とされる。詳しい流れは端折るが、この影響をじわじわ受けたドイツが1939年にポーランドに侵攻したことで第二次世界大戦は開戦した。
ドイツは第一次大戦で負けた際、ヴェルサイユ体制により膨大な賠償金を課せられた。ところが、世界恐慌の煽りで国の経済が逼迫したため、各国の政策等に不満が爆発したヒトラーが立ち上がった…というのがざっくりとした説明(ざっくりすぎてごめんなさい)。
戦争に発展した意外なきっかけ
いろいろ調べてみたら、意外なきっかけで戦争に発展した、というものがあったのでいくつか紹介する。
【サッカー戦争 -ホンジュラス対エルサルバドル 1969年-】
1968年6月8日、翌年に開催されるサッカーW杯メキシコ大会予選、中南米・カリブ海予選準決勝第1戦、ホンジュラス対エルサルバドルが行われた。
試合前夜、ホンジュラス入りしたエルサルバドル選手宿舎の周囲にサポーターが押し寄せ、騒ぎ立てるなどして安眠を妨げるといった嫌がらせが発生していた。結果はホームのホンジュラスが1-0で勝利する。すると、敗戦に落胆したエルサルバドルの18歳の女性が拳銃自殺をはかり亡くなった。その葬儀は国葬となり、サッカー選手団や大統領まで参列、テレビ中継もされるほど関心事となった。
6月15日、遺恨試合となった第2戦はホームのエルサルバドルが3-0で勝利。試合前夜は、逆にホンジュラスの宿舎の周囲を敵サポーターが囲み、安眠を妨げる妨害を続けていた。そして試合後、ホンジュラスのサポーター2人がエルサルバドル人から暴行を受けて死亡。車が放火される被害がでるなど暴徒化し、エルサルバドルに住む1万のホンジュラス人が非難するまでの事態に広がってしまう。
6月27日、1勝1敗のプレーオフ戦はメキシコシティで行われることに。結果は3-2でホンジュラスが勝利。その数日後、ホンジュラス空軍がエルサルバドル空軍を空爆し戦争は火蓋を切ってしまう。
この「サッカー戦争」、名称としては有名でサッカーに端を発したと思われがちだが、この両国は領土問題、経済問題、移民問題などでそもそも対立していた。国境付近では前々から小規模なやり合いを繰り返していたため、本格的な戦争に突入するのは時間の問題とも言われていたのだ。とはいえ、サッカーが拍車をかけたといえなくはないはず。
戦争は、開戦から26日後に米州機構(OAS)により、エルサルバドルに撤収命令が出されたことで和平となる。
【切手戦争 ―ドミニカ対ハイチ 1900~1923年―】
カリブ海に浮かぶイスパニョラ島。北海道よりやや小さなこの島は東側3分の2がドミニカ共和国、西側3分の1がハイチ共和国となっている。ハイチはフランス革命時に独立した黒人共和国でフランス語が公用語。一方のドミニカ共和国は白人系・混血系が多い。1844年にドミニカがハイチから独立した経緯などもあって仲は良くなかった。
イザコザの発端はドミニカが1900年10月21日にイスパニョラ島を描く切手を発行した事。絵を見ると、島の領土がハイチ領に大幅に押し込んでいたのだ。当然腹を立てたのがハイチ。
ここから23年もの間、戦争が続く。途中、両国ともアメリカに占領され軍政時代となるが、アメリカ撤退をきっかけに両国共同の協定切手を発行することで和解、決着に至った。
【タラ戦争 ―アイスランド対イギリス 1958年~1975年など―】
このタラ戦争は、数度繰り返され第3次にまで及ぶ。アイスランドの主な産業は漁業。1958年、アイスランド政府はタラ漁を保護するために海幅をそれまでの4海里から12海里に拡大する。
それに対し、アイスランド周辺海域で多数の自国漁民が操業していたイギリス政府は反発。イギリス海軍軍艦をアイスランド領海に派遣し自国の漁船を保護すると同時に、武力行使でアイスランドの領海拡大を撤回させようと企てる。
海軍を持たないアイスランドは沿岸警備隊警備艇で反撃し、小規模ながらイギリス海軍とアイスランド沿岸警備隊とで軍事衝突に。
イギリスは駆逐艦など37隻の各種艦艇を送り、アイスランドは7隻の警備艇と飛行艇1機で迎え撃ち、両者の間で砲撃も行われたが、戦死傷者は発生しなかった。そして1961年2月、NATOによる調停の成果もあって、イギリスはアイスランドの12海里領海を承認することに。これが“第1次タラ戦争の顛末。
1972年、アイスランド政府は自国のタラ資源を確保するために50海里のアイスランド漁業専管水域を設定した。これに対してイギリス政府と西ドイツ政府が反発し海戦となる。これが第2次タラ戦争。のちにNATOによる仲介が実施され、イギリス側はアイスランドの主張の大枠を認める形で集結する。
第3次は1975年。タラ資源減少に悩まされたアイスランド政府は、漁業水域を200海里に拡大する。これにイギリスはまたまた反発、アイスランド周辺海域に軍艦を派遣し、再びアイスランド警備艇との間で武力衝突が始まる。そしてこれもNATOが介入し、結局アイスランドが勝利する。
結局全てアイスランドの主張をイギリスが泣く泣く飲む形になっているのだが、さて第4次タラ戦争は起こるのか?
何がきっかけで戦争が始まるかわからないものだが、とにかく一度じっくり話し合いをしてはどうだろうか。あの国の偉い人に言いたい。