近頃、日本人スケーターの活躍やオリンピックなどにより、盛り上がりを見せるスケートボード業界。昨年はStreet League Skateboarding(以下SLS)という世界最高峰の大会で堀米雄斗が3連勝しTampa AMでは池田大亮が優勝。X Gamesなどの大きな大会でも日本人スケーターによるメダルラッシュ!今年に入ってもSLS最終戦の世界選手権で西村碧莉が優勝し、池田大亮がTampa Proで3位になるなど、勢いは止まらない!少し前はSLSやX Gamesに出るだけでも凄い事だったのに、今では出場するだけでは話題にならなくなってきており、時代の流れの速さに驚くばかり。
そこで今回は、表舞台に出る事があまりない一人のスケーターに注目してみました。筆者の友人でもある、小金井公園のローカルスケーター出雲秀陽37歳。トイマシーンなどがスポンサーについているとはいえ、あまり陽の目を見る事のない、彼へのインタビューを通して日本のスケートボードの一部分を掘り下げてみたいと思います。
『小金井市のスケボー大使になりたい』
——出雲秀陽って珍しい名前だよね?由来は?
「親父の名前から秀の名前をもらって、太陽のように明るくという意味で陽をもらって、秀陽。よく中国人と間違われる。出雲の苗字も親父が広島出身なんだけど、元々は島根の方から来たみたい。(一説によると)本当は雲に住むと書いてウンジュウって名前だったらしいんだけど、そこから地上に分かれて宗家、分家に分かれて、宗家の方は出雲大社になって、こっちは分家の方で商売人になって広島に流れた。という事で、元々は雲に住んでたらしい(笑)」
——スケートを始めたのはいつから?
「17歳。高校2年の終わりから。当時、何か趣味を見つけようと、部活に入ったんだけど、廃部になっちゃってヒマだった時に、同級生が5000円でコンプリートを売ってくれてスケートを始めた。最初は近くの公園でやってたんだけど、オーリーとか全然出来るようにならなくて、上手い人がいる小金井公園に行くようになって、いろんなスケーターと出会って話して、いろんな人のスケートを見て、だんだん出来るようになった感じ」
——もっと早くスケート始めれば良かったと思う?
「そういうのは全然ない。今、楽しければいいって感じ」
——スクールをやっていた事もあったよね?
「今までお台場(H.L.N.A Skate Park)や三鷹(武蔵野ストリートスポーツ広場)でスクールした事があるけど、初めは小さい子たちがスケートを好きになればいいかなと思って教えてたけど、途中から“自分はスケートボードを教わった事ないし、そもそも自分で考えるもの”だと思うから“自分で考える”って事を教えるようにした。そう考えるようになってからは、成長していく子供たちを見るのが楽しかった」
※小金井公園にて「フロントサイド ノーズグラインド」
——秀陽といえば小金井公園だけど、小金井公園の魅力は?
「小金井公園がずっと滑れる場所であってほしいから今は自分が管理人みたいな感じでいるんだけど、小金井公園の伝統的にスケーターだけでなく、インラインだったりBMXだったり、子供でも大人でも誰でも居やすいところが魅力。みんな優しくて、全くギスギスしてない」
——小金井公園のスケーターが他とは違う所は?
「オラオラしてる人がいなくて、みんなマイペースな所。沖縄と同じような感じがするって三世(伊芸雄一)とかにも言われたことある。とにかくみんなゆっくりしてる」
——秀陽にとって小金井公園とはどんな存在
「家。いろいろなスポットを攻めて、最後に帰って来る所」
——小金井市のスケボー大使になってと言われたらなる?
「なるなる!ていうか、これからそう名乗るわ」
——初めてスポンサーがついた時の話を教えて
「初めては福生の“スパイスボードルーム”というショップ。同級生がスパイスの人と仲良くて、自分もスパイスでスケート用品を買うようになるんだけど、そこからスパイスのライダーたちと滑りに行くようになって、スパイスの店長に撮影に誘われるようになって、サポートされることになった。
それが18歳の時」
——デッキはずっとmystery(ミステリー)がついてたよね?
「スパイスボードルームで撮り溜めたビデオがちょっとした事情で使われなくて、仕方ないからそのビデオをリアライズという代理店に送ったらミステリーとADIO(アディオ)がついた。嬉しかったね、スケートやっててよかったと思った。それが22歳の時かな」
※小金井公園にて「植木越え・ヒールフリップ」
——そこから現在のトイマシーンに移った流れは?
「まず、アディオが本国のアメリカで消滅しちゃって、靴どうしようかってなった時に、ジェイミートーマスが好きだからFALLEN(フォールン)の代理店、K&Kコーポレーションにインタースタイルの時に直接手渡しで映像を渡して、サポートしてもらえるようになった。それで、ずっとフォールン履いてたんだけど、今度はミステリーがなくなっちゃって、板どうしようかって時に、トイマシーンが好きだし、乗りたいっていう話を代理店の社長としてトイマシーンのライダーになったんだけど、メディアとかに出たり実績がないとデッキをくれたりはしないから、ライダーとはいっても半額で買ってる」
『謎の集団HULAHOOPERS』
——秀陽が属している“HULAHOOPERS(フラフーパーズ)”って何?
「フラフーパーズは…なんだろう?自分の好きな事をずーっとやり続けてる人たちの集団」
——フラフーパーズの目的は?
「自分たちの好きな事を続けること。自分たちの考えを人に伝えたり、発信源となっているのがフラーパーズで、世の中には自分たちみたいな価値観の人たちが絶対数いるわけで、そんな人たちが見て、共感し、面白いと思ってもらえたら嬉しい。そこがフラフーパーズの目的かもしれない」
——フラフーパーズとしての活動の魅力は?
「それぞれがやっていることは違うんだけど、考え方や価値観、性格や人間性が似てる人たちの集まり。そんな人たちが集まって生み出せる物や関係性が魅力」
——なんだか最近、変な絵を描いてるよね?
「2年前くらい前から描き出した。親父も画家だったからというのもあるけど、元々絵は好きだった。昔はスケボーだけあればいいと思ってたけど、この歳になってスケボー以外の趣味を作ろうと思って絵とギターを始めた。ただそれだけ。個展は年に1回か2回、吉祥寺にあるARGUMENT GALLERY(アーギュメントギャラリー)っていうサポートしてくれているお店で開いてる。アーギュメントは、今はギャラリーがメインなんだけど、仲良いやつにはスケートグッズも売ってる世界一かっこいいスケートショップ」
——なにやらライブハウスで歌ってるとか聞いたけど
「面白いから歌ってる。人前で歌うことはスケボーのデモとかと一緒かもしれない」
——スケート、アート、ミュージックの共通点は何だろう?
「自由。絵や音楽に関しては自分にとってチャレンジかな。知らない人に見せたり、聞いてもらったりして楽しませたいんだよね。そういうのはスケボーと同じだと思う」
『あの時代』
——秀陽と俺(インタビュアー)は高校時代にスケートボードで知り合ったけど、共通の友達で、元小金井ローカルのT中M樹がいるよね。彼が俺とコンビを組んで、お笑い芸人の道に進んだ時の心境はどうだった?
「M樹とはずっと一緒にスケボーやってきたから正直寂しかったし、仲間が減っちゃったなって感慨深くなったけど、でも正直、なんていうんだろう…。俺はM樹とスケボーずっとやってきたけど、高校を卒業するくらいからプロスケーターになりたいって思いがかなり強くなっていた。だからもっといろんな所に行って、いろんな人に会って、幅を広げたいって思ってて。その時のM樹とはスケートに対する考え方が違ったから“これがタイミングなのかな”って思った。むしろ逆に、自分のスケートの事を真剣に考えるきっかけになった」
——M樹との共通の知人で、バンドでデビューしたOCEAN LANE(オーシャンレーン)がいるよね。彼らが人気になった時、スケーターとして芽が出てない自分に焦りはなかった?
「俺もプロになってデモとか出て、稼いでいけたら楽しいだろうなっていう思いは膨らんだけど、焦りはなかった。他にも小金井スケーターでプロのミュージシャンになった人がいるけど、みんなで売れた先で出会って、いろんな話が出来たら楽しいだろうなって思ったりした事はあったかな」
——当時の理想の自分に今は近づけた?
「スケーターとして、やり足りない事はまだいっぱいあるけど、今まで辿ってきた道にあの時ああしておけば良かったとか、そういうのは全くない。今はやりたいスポットでの撮影をしてくれる人がいるし、スポンサーを受けている身として、自分のやれる事は全てやった上で、誰に見られていようが、結局自分がやりたい事っていうのを求めて、(フラフーパーズなどの)仲間と表現出来る場所があるから」
『盟友の存在』
——ME AND MY FRIENDS(2011年4月)以来パートを出していない理由は?
「フラフーパーズの杉本篤にしかパートっていう形は撮って欲しくないから。22歳くらいの時、撮影で大怪我してそれまでみたいなスケートが出来なくなって自信を無くしていた時に“撮りたいんだけど”って拾ってくれたのが杉本篤だった。スケートも含めて、その時はかなりボロボロだったから、彼がいなかったら今どうなっていたかわからない。今では好きな事と感覚が一緒で、一番心を許せる友達。だから、当時から他のフィルマーから声がかかっても杉本篤の撮影を優先してた。ドキュメンタリー映画・根っこは何処へ行くでも俺のスケート映像を撮って提供してくれたよ」
——ちなみにどんな怪我だったの?
「ステアでフロントサイド180ヒールフリップした時に、着地で最後の段に足首が引っかかって縦にグリッチョして靭帯が全部切れた。回復には一年くらいかかったかな。手術はしなかったから、今も切れたまま」
『一人のスケーターとして』
※「フェイキーヒールフリップ」
——靭帯全切れしてスケーターとして変わったことは
「左足首をやったんだけど、地面を強く蹴ることが出来なくなってスイッチトリックが出来なくなった。でも、それならもうメインスタンスだけで行こうって決めた。あと、靭帯切れる前は着地の衝撃にいくらでも耐えられるけど、切れてからはでかいステアだと着地に耐えることが出来なくなっちゃって…。だけどハンドレールなら、乗っちゃえば降りるときにレールの最後と地面との間の高さだけで、衝撃はほとんどないからハンドレールをたくさんやるようになった。ハンドレールもそうだけど、結果的に怪我したことでスイッチが出来ないからフェイキーをやるようになったり、今のスタイルが固まった。新宿の某学院のフェイキー ブラインドサイド180ヒールフリップも怪我してなかったらやってなかったかもしれない」
——「根っこは何処へ行く」に出演して、作品を観てどう思った?
「プロの尺八奏者が“扱いやすい尺八よりも、クセのある尺八を使う感覚”とかは、すごく理解できた。俺があえて重いトラックを使ったり、ブッシュは絶対にぐにゃぐにゃじゃないとダメみたいな。
“難しいからこそ面白い”同じプレイヤーとして、好きなことをやる人たちの感覚は一緒だなと」
——いつも血だらけでスケートする理由は?
「出来ることをやってもしょうがないんだよ、スケボーは。出来るか出来ないかをやるから面白い。出来ることを簡単に見せても自分自身が面白くないし、観てる人も面白くないはず。だからスケートは上手い下手関係ないっていう部分がある。攻めてるやつを見てたら面白いし、上手い基準なんてみんな違うからさ。だから、俺は面白いやつになりたい」
※「フロントサイド50-50グラインド」
——秀陽にとってハンマートリックとは
「仲良い友達と旨い酒を飲むことと一緒。血を流すことも楽しいことだし、絶対なきゃいけないこと」
——歳を取ったら(あるいは事故や怪我など)いつか必ずスケートが出来なくなる日がくるよね?そういうことは考えたことない?それにはどう答えを出す?
「考えたことはある。そうなったらそこでスケートボードは終わり。ハンドレールやステアが出来なくなったらスケートはしたくない。フラットやカーブトリックだけ出来ても意味がないから、スケートはしない。でも、出来なくなると思ってないから。結論としては“出来なくならない”」
出雲秀陽ミニクリップ〜Gizmo〜
——スケートボードを愛してやまないエピソードを
「普通かもだけど、新品の板が来たら一緒に寝てる」
——今のスケートシーンに対して言いたいことは
「みんなもっと好きなようにやったらいいと思う。自分でトリック作るくらい、考えた方がいいよ。俺は20歳の時にサプライズフリップってトリック作ったよ。昔はスケーターが少なくて、常に少数派だったし、ネットとかも無いから(トリックに関しても業界に関しても)何が何だかわからず、自分で調べたり考えたりしていた。今は映像とかオリンピックとかお金とか、そういうのが丸見えすぎてつまらないかな。スケボーはわからない方が面白い」
——秀陽にとってスケートボードとは?
「生きることだよ。希望がないと生きていけないよねスケボーがないと生きていけない。ちょっと重すぎるかなぁ。でもそうなんだよなぁ、スケボーやってないと元気がなくなっちゃうからな。死んじゃうよ」
——スケートボードに対して一言
「人生を変えてくれて、ありがとう。全部楽しくなった。いや、どういう事だよ!(笑)なんか適当に書いといてよ(笑)」
——最後にフェイバリットセッティングを教えて。
「トイマシーンの8.125、トラックはサンダーHIのポリッシュ、重いやつで139。ベアリングはミニロゴ、ウィールはピッグウィールの52mmが一番良い。ブッシュはボーンズのミディアム。これがベスト」
『だいたいケガしてる男』
秀陽はたまに会うとだいたいケガをしている。先日会った時は両足首グリッチョしていた。
秀陽のローカルスポット小金井公園は“都内の広い公園第4位”にランクする小金井公園の小さな一角に存在する。とてもアットホームで誰でも気軽に来れるスポット。秀陽はここに訪れるスケーター全員と挨拶を交わし、気さくに会話をする。スケートして自宅に帰るとビールを飲み、エレファントカシマシを熱唱し、昔のスケートDVDを観て「〇〇カッケーよなぁ」とつぶやく。いわばどこにでもいるスケーターの一人。
では、なぜフラフーパーズのメンバーや周りのスケーターは彼に惹かれるのか。それは何も包み隠さずに生きる姿勢そのものではないだろうか?スケートに対しても、音楽に対しても、アートに対しても、何一つ恥ずかしがらずに、気負わずに自分が良いと思うことだけを信じる。筆者もそんな彼に惹かれるところがあって、このインタビュー記事を引き受けたのだろう。馬鹿みたいにまっすぐで、馬鹿みたいにケガしてる男、それが出雲秀陽。
最後に全然関係ないけど秀陽、純ちゃん結婚おめでとう。
出雲秀陽・スポンサー
TOY MACHINE・HULAHOOPERS・ARGUMENT
写真・文 小嶋 勝美
スケートボードを趣味としており、ライターとしてスケートボード関連の記事を執筆。
約10年間芸人として活動後、現在は放送作家としても活動中。