日本には昔からいろんな“裏”のつく言葉がある。
常連客向けの「裏メニュー」「裏オプション」、メインストリートとは異なる「裏路地」「裏通り」、表だって公表していない「裏話」「裏ルール」「裏アカウント」……。いずれも怪しげな意味を多分に含むが、これだけさまざまな表現があるのは、ひとえに“裏”という言葉に人を惹きつける“何か”があるからだろう。いったいそれは何なのだろうか。
自分だけが特別という
“裏”がつく言葉を見て、頭の中にパッと浮かぶのはやはり「特別感」だ。どんなありふれた言葉でも、頭に“裏”の字が付くだけで、いつもと違う特別な感じが漂うのだ。
たとえば、「裏メニュー」「裏オプション」はその典型だろう。本来は、大多数の人に向けた意味があるのだが、その言葉になるだけで「あなただけはちょっと特別よ」という意味合いをまとうから、まるで“自分だけ”が特別と認めてもらったような、ある種の承認欲求を満たす特徴があるのだ。それゆえ、誰もがつい“裏”のつく表現には、夢中になってしまうのだろう。
子ども心に感じられた隠微なニュアンス
“裏”の持つ言葉は、内容によって、強い欲求をかりたてる。タブーとわかっているのに、それでも知りたい、見たい、やってみたいという衝動をおさえられなくするのだ。たとえば、「裏技」「裏ビデオ」「裏カジノ」にはその特徴が色濃く出ている。これらの言葉はとくに男性なら強い賛同を得られるのではないか。同級生宅に集まって上映会をしたり、危険なギャンブルにはまってしまうのは、たいてい男だろう。
この場合の“裏”にもきっちりと「希少性」が含まれる。何が希少なのかは、ここで詳しく述べる必要もないだろう。また、“裏”のつく言葉が性的嗜好の分野に多いのも、その一つの特徴と言えるはずだ。
多数派に属したくない人は“裏通り”の流れ?
“裏”がつく言葉の特別感は、その地位向上にもしばしば利用されてきた。たとえば、十数年前に「裏原宿」(通称「裏原」)が若者の間で流行った。アパレルショップが並ぶその通りを散策することは、“オシャレな自分”を標榜することであり、友人よりもちょっとセンスがいい自分に浸れる場所でもあった。
そして現在でいえば、その流れは「裏渋谷」「奥渋谷」へと変わりつつある。若者が隠れ家的なオシャレなカフェを見つけて、SNSに写真を投稿するのは、あまり多くの人が知らない特別な場所を、“自分だけ”が知っていることをアピールするのにちょうどいいのかもしれない。
気分の高揚と特別感が“裏”の持つ強み
「自分だけが特別」という気分に浸れるのはなんとも心地よい。お気に入りのお店や人から「常連客だけの“裏メニュー”だよ」「あなたにしか教えない“裏アカウント”だよ」と耳元でささやかれたら嬉しいはずだ。もし、そんな一声をかけられたとして、あなたが気分よくなってしまっても無理はないのだ。