今にも動き出しそうなこのミニチュア戦艦を製作しているのは、元ピアノ調律師で現在公認会計士事務所の代表を務める熊谷康史さんです。
奥が深く、手間も時間もかける本格的な製作
熊谷さんはプロモデラーではありません。しかし、その設計精度や仕上がりは国内でもトップクラス。あまりの精密さに、実際に乗船していた退役海軍や、そのご家族が模型を見て涙を流すこともあったそうです。
ミニチュア戦艦の世界でも、様々な評価をうける熊谷さんですが、2002年から仕事の傍ら戦艦を製作しています。
8隻目となるこの【長門】はリサーチに約1年、製作期間は5年ほどかけています。ホームセンターで買った木材を掘り出し、プラスチックを削り、ほぼ全ての部品から自作する熊谷さん。
「エッチングパーツを組み立てて綺麗なものができても、8割そのパーツをつくっている企業の力になってしまう。自分がつくった模型と呼べるものを製作していきたい」とポリシーを話します。
当時の青年群像を後世に伝えたい。
今の青年たちが野球選手やサッカー選手に夢を抱くように、昭和初期の青年は海軍に憧れを持ち、それが青春でした。
「戦艦は戦う道具よりも、外交などで活躍する国の象徴。特に日本の戦艦は速さより形にこだわった造形美が、今の時代でも海外から高い評価を得ている。」と熊谷さん。
熊谷さんの大叔父に当たる人は法務大佐としてインパール作戦に関与し、のちに陸軍少将となった相内禎介氏。
同氏は戦後、B・C級戦犯の弁護人を務めたことから、熊谷さんは「子ども頃から大叔父さんから海軍などの色んな話を聞いて、それが今でも心に残っている」と戦艦の魅力にとりつかれた理由を話しました。
執念で生み出す熊谷さんらの“美術品”
【長門】の前作【扶桑】を完成させた直後、熊谷さんは左目を失明、さらに、追い打ちをかけるように癌の宣告も受けたそうです。
「戦艦が好きだし製作するのも好きだけど、ここまできたら執念。俺たちは後世に残る美術品をつくっているという気持ちでやっている」と熊谷さん。
熊谷さんは現在、古くからの友人と2人で会計事務所隣のスペースで製作活動をしています。3月は確定申告で忙しいとのことですが、それでも土日でそれぞれ8時間ほど作業するそう。
「自分が死んだらこの艦に乗って、あの世とこの世を行き来したい」。熊谷さんの締めの言葉がとても印象的で、ロマンがあります。
http://hobbycom.jp/my/1123f61cea