当時のSMAPはとんがっていた。「なんで俺がこんな事やらなきゃいけないの?」

2016/01/29
放送作家 石原ヒサトシ

解散から継続へ、日本中をザワザワさせた国民的アイドルグループSMAP。1991年のCDデビューから今年で25周年を迎えるわけですが、結成から数えると実質28年になるそうです。

 

私は彼らがデビュー前から出演していた、ある番組に携わっていました。

収録の際には必ず顔を合わせていましたが、正直彼らを見ていて、こんなに長くトップで活躍するグループになるとは思いませんでした。それどころか“ジャニーズは終わったかも”とも思っていました。

 

これにはいくつかの理由があります。

 

芸能界における天下のジャニーズ

1990年代のある時期までジャニーズアイドルは、テレビ番組において、ゲームコーナーに出てもヨゴレはさせられない。クイズ企画をするにしてもバカがバレてはアウト。トークでは、プライベートは基本的にシークレットという感じで……実際に事務所NGは出ていなかったかもしれませんが、見えないようで見える一線が暗黙の了解で存在していました。それほど特別な扱いだったのです。

 

一躍スターダムにのし上がれば、仕事場ではチヤホヤされ、女にモテモテで、どこでもVIP待遇の扱いを受けるようになる芸能界。

先輩スターのステージのバックで華を添えていた、皆中高生だったSMAPがその姿を間近で見れば“あれがトップアイドルのあるべき姿だ、俺達もあんな風になるんだ!”と憧れを抱いたに違いありません。

 

アイドル氷河期到来

そもそもジャニーズアイドルは、短期間に爆発的に売れピークは2~3年。いつの間にかテレビから姿を消し、グループは解散…という流れが、よくあるパターンでした。

 

人気アップのファクターは、まさしくテレビでした。出演できるテレビ番組がたくさん有り、そして沢山の視聴者が視てくれていたからに他ありません。

 

ところが時代は変わります。

1989年頃から、『ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオ』を筆頭に歌番組が相次いで終了。

 

1990年代に入ると『マジカル頭脳パワー』(日本テレビ)、などのクイズ番組や、コントを中心とした『ダウンタウンのごっつええ感じ』『ウッチャンのやるならやらねば』(どちらもフジテレビ)等の芸人冠番組、そして企画力で人気が沸騰した『電波少年!』(日本テレビ)等のバラエティ番組が人気となり、歌どころかアイドルが出演できる番組すら激減します。“アイドルってもうダサい”のような風潮も生まれていました。

 

光GENJIの時代が終わり、その後継として登場したのがSMAP。

SMAPは、とんでもなく過酷な時代にジャニーズの屋台骨を支えることになったのです。

 

とんがっていたSMAP

あくまで私の個人的な印象ですが、当時のメンバーは以下のように映りました。

 

当時は6人組でしたが、そんなに仲がイイとも思えませんでした。3対3で割れていたようです。

 

香取慎吾

一番年下だし、特にあれこれと自己主張することもなく、楽しくテレビに出たいという感じでした。とにかくいつも眠そうでした。

 

草彅剛

役割としては三枚目で、イジられキャラで人気だったのですが、実は、本人はそれがかなり嫌だったようで、そのポジションにかなりイラッとしている感じがしました。

 

稲垣吾郎

当時からクールな印象。“やる気があるのか?”とよく思いましたが、それが彼のスタンダードな振る舞いだったのかもしれません。誰よりもマイペースでプライドが高いように見えました。

 

木村拓哉

当時から人気は絶大で注目されていたからかはわかりませんが、いつも周囲が“うぜぇ”みたいな感じで不機嫌そうでした。どうも感情のスイッチを何種類か持っているようで人によって態度が違っているように見えました。

 

中居正広

最もやんちゃ風に思うかもしれませんが、リーダーという立場からか、愛想も良く周囲への気配りを怠らないよう努めていた感じです。少し神経質かなと思う時がありました。

 

現状は彼らの出られる全国放送レベルの歌番組は少ないし、ましてや、事務所から期待されての起用ですから(全く期待されていなかったとも言われていますが)必死に頑張ってくれるんだろうなと思いました。

 

でも、実際のイメージはかなり違いました。全員ではありませんが、不平不満を口にしてくるのです。

 

「なんで俺がこんなことやんなきゃいけないの?」

 

何度か聞きました。

中にはろくに挨拶をしないメンバーもいました。

 

まだ若かったといえばそれまでですが、CDデビューもしていないのにレギュラー番組なんて恵まれた環境です。先輩方の恩恵や事務所の力もあってこそ。

「この子たち勘違いしてないか?!」 

そう思ったスタッフは1人や2人じゃないはずです。

 

番組はバラエティでしたし、体を張ったゲームやバカを露呈しかねないクイズ企画など、あえていろんなことをやりました。ジャニーズとはいえ新人の彼らに、「あれやらねー」「これできねー」なんて甘えた選択肢はないはず。

「何でもやります!」くらいの学ぶ姿勢で望むのが、当たり前だろうと思います。

 

でも“こんな事、今まで先輩はやってないし”

もしかしたら彼らの中に今までのジャニーズ像とギャップがあったのではないでしょうか。

私は、歌だけでは難しい時代だし、少しでもバラエティに慣れてくれれば…と思っていました。

 

「なんでこんな事やらなきゃいけないの?」と口にし、裏では態度が生意気でも、本番ではプロとして一生懸命やってくれたと思います。その甲斐あってか番組もそこそこの人気を博しました。

 

そして1991年SMAPは念願のCDデビューを果たします。

しかし、ここからが彼らにとって受難の時代。アイドルとして生き残れるか否かの正念場をむかえることになります。

 

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1962年8月、日本初のテレビ情報誌として創刊されたテレビ雑誌のパイオニア。
TVガイド関東版 2016年2/5号
東京ニュース通信社「ジャニーズ完全密着特大号」

 

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この記事を書いた人

放送作家 石原ヒサトシ

放送作家 「クイズ雑学王」、「ボキャブラ天国」等 バラエティを中心にイロイロやってきました。なんか面白いことないかなぁ~と思いながら日々過ごしています。野球、阪神、競馬、ももクロ、チヌ釣り、家電、クイズ・雑学、料理、酒、神社・仏閣、オカルトなことがスキです。

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